イエス様の証人となる - 使徒の働き1:8

2019年5月12日宮古めぐみキリスト教会説教 ちょっと想像してみてください。あなたがある日仕事に行くと、上司から大切な話しがある、と言われます。自分は長期出張に行かなければならないので、これから日々の仕事は君にまかせるけど、君のことを信頼している。君には教えられることは全部教えたので、自分がいない間も君が良い仕事を続けてくれるだろうから、会社は安泰だと信じている、と伝えられました。これを聞いたら、どうしますか。緊張はあるかもしれませんが、もし上司があなたのことを本当に信頼して、仕事を丁寧に教えてくれるようないい上司だったら、一生懸命その方針に従うと思います。 今日は、主イエス様が私たちに、イエス様の教会として、ご自分がいない間に何をするように命令されたのかについて学びたいと思います。 これから使徒の働きの学びを始めたいと思っています。使徒の働きは新約聖書の四番目の書で、筆者はルカの福音書を書いたルカです。ルカは歴史家で、また使徒パウロの友人でした。使徒の働き1:1-2を見てください。 テオフィロ様。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に挙げられた日までのことでした。 使徒の働き1:1-2 ここで言っている「前の書」とはルカの福音書のことで、使徒の働きはある意味でルカの福音書の続き、つまりパートツーと言えます。ルカの福音書はイエス様の伝記のような内容で、使徒の働きは教会の伝記とも言えると思います。使徒の働きを読んで驚くことは、この伝記には結末がないんです。その話は急に終わります。 使徒の働きの最初で、イエス様が使徒たちに命令を与えてから天に上がられ、そのあと使徒たちが宣教の働きを始めます。ですからその最後では使徒たちが受けた働きを完了するのだろうと思うところですが、最後の28章を見ると、その働きは終わらないままなんです。 これがとても大切な点だと思います。使徒の働きに結末がない理由は、この働きが今も終わっていないからです。これはどうやって教会がはじまったのか、どうやって教会がイエス様の宣教の働きを担うのかという話しで、私たちも実はこの話の一部なんです。私たちは現在日本にある地域教会で仕えていますが、この働きは使徒たちが始めた働きの続きだということを覚えていなければなりません。イエス様が使徒たちに与えた働きはまだ終わっていないので、今の時代の私たちには、イエス様に従ってその働きを続けていく責任と喜びが与えられています。この働きを通して、イエス様の栄光が現わされ、私たちの中で、また私たちの周りの人達の中で、イエス様の偉大な力が働かれるのを見ることができるんです。 イエス様が使徒たちに与えた 命令 は私たちにも与えられてのか。 しかし、聖霊があなた方の上に臨む時、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります。 使徒の働き1:8 イエス様が残った11人の使徒たちに、聖霊を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、イエス様の証人となるという命令を与えられました。この命令は具体的にどういう意味なんでしょうか。それを考える前に、まず、とても大切な質問があります。それは、この命令はこの11人の使徒たちだけに与えられたのか、それともすべてのクリスチャンに与えられているのか、ということです。1:2で、イエス様は「お選びになった使徒たちに命じた」と書いてありますが、この命令はその11人だけに対して与えられたという意味でしょうか。そうではないと思います。この命令、この働きは、すべてのクリスチャンに与えられたと私は信じています。その三つの理由を上げます。 1.まず、使徒たちに聖霊が与えられた大切な理由の一つは、彼らがこの働きを担う力を与えられるためで、同じように、もし誰かが聖霊を与えられたなら、その人にもその働きに参加する召しが与えられている、ということになるからです。すべてのクリスチャンにイエス様から聖霊が与えられていて、聖霊を通じてイエス様の宣教の働きを担う力を受けている、ということです。つまり、すべてのクリスチャンにこの命令が与えられているということです。 2.次に、この11人の使徒たちはこの命令を受けてからすぐに、別のクリスチャン達をこの働きに加えています。この1章の中では、11人の残っている使徒たちがユダの代わりの人を選びました。2章では、使徒たちだけでなく、エルサレムにいたすべてのクリスチャン、120人が聖霊を受けて、イエス様の証人として福音を伝え始めました。使徒の働きの最後までを見ると、数十の教会と数千人のクリスチャンがこの働きに参加しています。 3.この命令が、11人の使徒たちだけでなく現代の私たちにも与えられていると信じる3つ目の理由は、イエス様が与えられた大宣教命令です。 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが支持された山に登った。そしてイエスに会って礼拝しました。ただし、疑う者たちもいた。イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じたおいた、すべてを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いcつもあなたがたとともにいます。 マタイの福音書28:16-20 20節を見てください。使徒たちがあらゆる国々に行って、イエス様の弟子になりたい人にバプテスマを授けて、その次に何をするように命じていますか。 「私があなたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」と命じています。 この「あなたに命じておいたすべてのこと」には、大宣教命令自体も含まれています。つまり、その新しい弟子たちが、さらに新しいイエス様の弟子を育てて、その次の世代の弟子たちにもイエス様が最初の弟子たちに命じたすべてのことを守るように教える、ということです。このようにして、どんどん、私たちまで、イエス様が命じた大宣教命令がリレーされ続けました。 ここまで3つの理由を見てきましたが、これらのことが意味するのは、もし私たちがイエス様の教会の一部分とされ、イエス様から聖霊を受けて、バプテスマを受けたなら、また、イエス様に従うように教えを受けたなら、そうであるなら、私たちはイエス様から、聖霊の力を通してイエス様の証人となり、その宣教の働きに参加する命令を受けている、ということです。イエス様が11人の使徒たちに命じた命令は、こうして私たちにも与えられているんです。 この命令が具体的にどういうことなのか。 しかし、聖霊があなた方の上に臨む時、あなた方は力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります。 使徒の働き1:8 8節によると、宣教の働きをするためには聖霊が必要であることです。そこから今は、この節の最後の部分「そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります。」と言う部分にフォーカスしたいと思います。 この部分を理解するために、地理について考えてみましょう。イエス様は4つの場所をあげています。それはエルサレム、ユダヤ、サマリア、また地の果てまで、という4つです。 まずエルサレムは町でした。エルサレムには主の宮があって、ユダヤ人たちにとって、一番大切な町でした。またイエス様が殺された場所、そしてイエス様が復活された場所も、エルサレムでした。またエルサレムはイエス様の弟子たちが聖霊を受けたところで、その町でイエス様の証人として福音を伝え始めました。 次に、ユダヤとサマリアで福音を伝えると書いてあります。この時イスラエルはローマ帝国の支配下にあって、ローマ帝国は広い領域をたくさんの地方に分けました。ユダヤとサマリアはその二つの地方でした。エルサレムはユダヤ地方の中に位置していて、サマリアはユダヤのすぐ北の地方でした。この地方は日本の都道府県と似ていると思います。 最後に、地の果てまでという意味を考えましょう。「果て」と言う言葉はギリシャ語で「エスカトス」という言葉です。「エスカトス」は、一番遠いとか一番最後、と言う意味です。ですから、地の「エスカトス」まで、というのは、エルサレムから一番遠い所まで、また、福音がまだ届いていない最後のところまで、イエス様の証人となるという意味です。 これが特に素晴らしいことではないでしょうか。イエス様の十字架は、エルサレムにいる熱心なユダヤ人たちだけのためではなく、ユダヤ地方に住んでいる人のためだけでもなく、地の果てまで、つまり、世界中でイエス様を信じる人がおこされるためでした。福音は、この世界に住んでいる人すべてが神様に対して罪を犯して、神様の怒りを受けるべきだったのに、誰でも、どこでも、悔い改めて、イエス様を信じるなら、イエス様の死を通して赦しを受ける機会がある、そして自分の創造者である神様の元に戻ることができるという、素晴らしい知らせです。 またこの箇所から、イエス様にはご自分のご計画を達成するために具体的な戦略があったことが分かります。まず距離が近い人に福音を伝えてから、距離が遠くにいる人にもどんどん福音を伝えるということです。まず、弟子たちがいたエルサレムで福音を伝えて、そこから、ユダヤ地方全体に、そしてユダヤの隣のサマリア地方に広げていって、最後には地の果てにまでイエス様の証人となって福音を伝える、ということでした。これはたとえば、宮古市から始めて、岩手県、青森県、そして地の果てまで、イエス様の証人となる、というように私たちに当てはめられるかもしれません。 この戦略はもう一つの視点からも考えることができると思います。それは距離的な近さだけではなくて、私たちがまず関係が近い人に福音を伝えて、そこから関係が遠い人にも福音を伝えていく、ということです。イエス様の弟子たちはエルサレムに住んでいたので、ユダヤに住んでいるユダヤ人たちと近い関係にありました。サマリア人とユダヤ人の間には敵意があったので、サマリア人に福音を伝えるのは弟子たちにとってもっと難しいことでしたが、実は、ユダヤ人とサマリア人は歴史や文化の多くの部分を共有していたんです。同じ言語を使っていましたし、お互いの宗教についても理解がありました。しかし、地の果てにまで福音を伝えるのはもっともっと難しいことでした。エルサレムから距離が遠くなればなるほど、言語も違うし、文化も宗教もよく分からない人たちに福音を伝えなければなりませんでした。つまり宣教師になるということです。そのために、いろんな準備をしなければなりませんでした。 どうやって、日本に住んでいる私たちが、この命令に従っていくことができるのか 今日のメッセージの最後に、どうやって、今日本に住んでいる私たちが、この命令に従っていくことができるのかを考えたいんです。ある意味で、私が今住んでいる宮古市はエルサレムから最も遠い地の果てともいえるところだと思いますが、私にとってもっとふさわしい視点は、宮古市は私のエルサレムだということです。今日学んだ使徒の働きの1:8に、私たちがならうことのできる形が出てきました。 まずは、私たちが今神様に置かれているところで始めるということです。神様は宮古で私たち一人一人をそれぞれの地域に置いて、私たちの生活の中に、家族や近所の人、友人、親戚、同僚、お客さんなど、近い関係を持つ人を置いてくださっています。まずその人たちに対してイエス様の証人となることが必要です。 次に、どうやって、この地域に住んでいるまだ会ったことのない人たちに福音を伝えられるかを考えることも必要です。イエス様の働きに参加するために、すべてのクリスチャンが宣教師となって遠い所に引っ越さなくてもいいんです。同じところに住み続けるクリスチャンは、その地域に住んでいるすべての人が福音を聞くまで、働きを続けることが必要です。たとえば、教会のイベントを手伝うとか、新しい人と出会うために地域の活動に参加してみるとか、あまり知らない近所の人と関係を作るのもいいと思います。 最後に、どうやって日本全体の宣教、また、世界の宣教をサポートできるのかも考えなければなりません。たとえば、日本の他の教会と協力して、教会開拓の働きをサポートするとか、海外にいる宣教師のために祈って経済的にサポートすることもできます。私の祈りと願いは、将来、この教会開拓が宮古市の中で、また、岩手県で、新しい教会を生み出す教会になることです。 これから、宮古市で新しい教会を開拓していくにあたって、どうやって私たち一人一人が、周りの人に対してイエス様の証人となることができるのか、考えて祈ることが必要です。また、どうやって私たちがイエス様の教会として、宮古市から地の果てにまでイエス様のために証しをできるのか、ともに考え、祈っていきましょう。